公認会計士試験に合格し、監査法人に就職したみなさんは、まず何を目指すだろうか?おそらく、まずは監査の仕事を覚えながら、修了考査の合格を目指し、そして、シニアへの昇格やインチャージ(主査/現場主任)となることを目指すのではないだろうか。そして、その道を外れるキャリアを選択することに不安を感じる人も少なくないだろう。
しかし、その全ての選択肢を選ばずに、『起業家』へとたどり着いたのが、オンライン英会話サービスを提供する株式会社ベストティーチャーのCEOである宮地俊充(みやちとしみつ)氏だ。今回、宮地氏へのインタビューを通じ、これまでのキャリアや彼が起業家へと至った経緯に迫ります。
宮地 俊充(みやち としみつ)
株式会社ベストティーチャー
代表取締役社長 CEO/公認会計士試験合格
【経歴】
1981年生まれ。2005年、青山学院大学法学部卒業。大学時代は放送作家・脚本家として活動。卒業後より公認会計士を目指し、2007年に公認会計士試験合格。PwC(あらた監査法人)、独立系M&Aアドバイザリーファーム、EコマースベンチャーのCFO兼CMO(Chief Marketing Officer)を経て、2011年11月、株式会社ベストティーチャーを創業。(経歴はインタビュー時のものです。)
放送作家を目指した大学時代
-本日は宮地さんのこれまでのキャリアについてお伺いしたいと思いますが、宮地さんは、公認会計士試験に合格後、大手監査法人のアドバイザリー部門、M&Aアドバイザリーファーム、そして、ベンチャー企業のCFOを経て起業するという非常にユニークな経歴をされていますね。
そうですね。監査法人では、監査部門ではなく、会計アドバイザリーの部門に所属していました。その後、独立系のM&AアドバイザリーファームでM&Aや企業再生の仕事をし、ベンチャー企業でのCFOを経て、起業に至っています。修了考査にも合格していませんし、インチャージ経験もありませんから、公認会計士試験の合格者の中ではかなりユニークな経歴だと思います。
-今回はそんな宮地さんの経歴をお伺いしていきたいのですが、そもそも宮地さんが公認会計士を目指したのはどのような経緯だったのでしょうか?
僕が公認会計士を目指したのは大学を卒業した後でした。大学には5年間通っていたので、在学中から会計士を目指している人と比べると、2~3年遅れでのスタートです。
-大学時代は何をされていたのですか?
大学時代は、放送作家や脚本家を目指して、テレビ番組の企画やクイズなどを作っていました。電波少年などのテレビ番組に出たこともあります。
-それはすごいですね!
ありがとうございます。放送作家を目指している大学生の中では動けていた方かもしれません(笑)
ただ、とても厳しい世界でした。「放送作家を目指してテレビにも出た大学生」というと、凄い印象を受ける人もいるかもしれませんが、今は分かりませんが当時は放送作家の業界は「ごく一部の超一流作家」と「大多数の売れない作家」の極端な二極構造の世界で、作家として成功している人はほんの一握りで、僕は後者でした。クリエイターを目指してほとんど勉強もせず、大学に5年間通い、就職活動もほとんどしていなかったわけですから、今振り返るとあまりいい大学生ではありませんでした。
-なるほど。華やかな分だけ競争は厳しい世界なのですね。
そうなんです。自分も最初は作家の仕事も楽しかったのですが、大学生活の終わりが近付くにつれ、また、業界のそういった厳しさがわかるにつれ、放送作家や脚本家では食っていけないということにだんだんと気付き始め、このままじゃヤバい…と真剣に感じ始めました。
とは言え、他にやりたいことがあるわけでもなく、どうしようかと考えて出した答えが「大学院への進学」でした。それも特に明確な理由があったわけではなく「モラトリアム期間をとりあえず埋めよう」という安易な考えからでした。
ところが、大学院の試験に落ちてしまったのです。
-え!?大学院の試験ってそんなに落ちるものではないですよね!?
そうなんです(笑)筆記試験には合格したのですが、教授との口述試験(面接)の際に「将来の目標がないので、とりあえず大学院に進学しようと思っています」と正直に話したところ、見事に落ちてしまいました。今思えば当然ですよね。
その時は、作家にもなれず大学院にも行けず、「オレ、このままじゃ本当にヤバい…」とめちゃくちゃ焦りましたね。
-そこから公認会計士試験への挑戦にはどのようにつながって行くのですか?
実はその頃、サイバーエージェントの藤田晋社長の「渋谷で働く社長の告白」という本を読んだのですが、その本をきっかけにビジネスの世界に興味を持ち、公認会計士を目指すことにしました。
藤田社長も僕と同じ青山学院大学の出身で、学生時代はミュージシャンを目指していたなど、クリエイティブな仕事をしたいという部分に共感できるところが多かったのですが、その本の中の「会社自体が究極の芸術作品だ」という表現がクリエイターを目指していた自分にはとても響くもので、「放送作家というクリエイティブな世界は諦めたけど、ビジネスの世界でもクリエイティブ力は活かせるんじゃないだろうか…」と思い、ビジネスの世界を目指すことにしました。
そして、ビジネスの世界で戦うのには何か専門性があった方が良さそうだと考え、いろいろと資格について調べた結果、ビジネス系で最難関資格のひとつである公認会計士を目指すことにしました。
仲間や両親に支えられた受験生時代、そして、あらた監査法人へ
-TACでの勉強はどうだったのでしょう?受験勉強開始から2年目には会計士試験に合格されたということで、勉強はかなり順調に進んだのでしょうか?
実は、TACでは最初はずっと劣等生でした。
と言うのが、自分は法学部出身で簿記の知識もまともにない状態だったのですが、やる気だけでTACの1年本科生のコース(編集部注:1年で会計士試験合格を目指すコース。簿記のバックグラウンドがない場合、通常は2年コースなどに入学することが多い)を選んだため、商学部出身者や簿記1級の合格者に囲まれて、素人の自分は全くついていけない状態でした。
ただ、TACに入学してから『毎週110時間勉強をする』ということを決め、それだけはずっと継続していました。これは、藤田社長の本に「週110時間働く」という内容が出てくるのですが、それを意識して決めた目標でした。僕はそれまで放送作家を目指しはしていましたが、どこか浮ついた感じがあって、何かを本気で頑張ったということがなかったので、公認会計士試験だけは全力でやり切ろうと思って取り組んでいました。
-毎週110時間はすごいですね。そのモチベーションを維持できた秘訣はなんだったのですか?
「とにかく早く働きたい!」という気持ちがモチベーションでしたね。
大学を卒業してもまだ働いていないという焦りもありましたし、公認会計士を目指していた人にはありがちかもしれませんが「会計士試験に合格したらすごいことになるらしい」「会計士になったらすぐに経営者と対等に話せる!」と完全に勘違いしていて、そこに向かって突っ走っていました。「はやくオレの力を発揮させてくれ!」みたいな。
-それはそれは(笑)とは言え、そういった努力の甲斐があって合格するわけですね?
そうですね。1年目の成績は厳しかったものの、2年目は成績も伸び、受験前からかなり手応えはありました。ただ、2年目は1年目と同じ勉強をしなければならないことが苦痛で、ストレスが溜まって体調を崩しかけたこともありますし、論文試験の直前には急病で緊急入院し、試験を目前に控えて手術をするなどかなりピンチなこともありました。医者には「試験は受けられない」とまで言われて「なんでこんなことになるだ…」って感じでした。
でも、最終的にそういった厳しい状況も乗り越えて合格できたわけですが、自分の努力の結果というよりも、今振り返れば両親と仲間に恵まれたことがかなり大きかったと思っています。
そもそも、僕の場合、就職活動もほとんどせずに大学で5年間過ごし、やっと卒業したら今度は仕事もせずに専門学校で会計士を目指したい、と。しかも、地元に帰らずに東京でひとり暮しをしながらですから、普通の親なら許してくれませんよね。そんなワガママを全部聞いてくれた両親には本当に感謝しています。
また、受験生1年目の右も左もわからなかったとき、ずっと劣等生だったとき、いろんなことを教えてくれたり励ましてくれたりした友人がいて、すごく助かりましたし、環境には本当に恵まれていたと思います。
監査法人では監査を経験しませんでした
-宮地さんは監査法人へ入社した後は、監査部門ではなく会計アドバイザリー部門に配属されていますが、そこにはどのような経緯があったのですか?
当時、僕の同期は248名いたのですが、当然のことながらみんな会計監査をやるために監査法人に入っているので、ほぼ全員が監査部門を志望していました。
ただ、当時の自分は、自分の経歴にものすごい危機感を感じていて、というのが大学に5年通って、さらにそこから2年間も会計士試験の勉強をしていたので、25歳にして社会人経験が全然ないことに非常に焦りがありました。また藤田社長の本にも「キャリアは20代の過ごし方で決まる」と書いてあったこともあって、「オレの20代、もうあと少しじゃん」「このままみんなと同じペースで監査をやっていたらヤバイ…」とそんな感じでした。
-それで、監査ではなく会計アドバイザリー部門を志望したと。
そうですね。あらた監査法人では「財務報告アドバイザリー」(Financial Reporting Advisory;以下、FRA)という部門に配属になるのですが、同期248人の中で監査部門ではなく会計アドバイザリー部門への配属となったのは僕ともうひとりの2名だけでした。ただ、今振り返ってもその時の選択がとてもよかったと思っています。
-FRA部門での経験はどのような点が良かったですか?
FRAに関しては、部門が立ち上がったばかりであったのが特に良かったと思っています。
当時、僕は会計よりも営業をやってみたいという気持ちが強かったのですが、FRAに配属されて最初の仕事が大手金融機関に対する提案書の作成でした。監査法人に入ってすぐにやりたかった仕事をできたので嬉しくてそこからどんどん仕事にのめり込んで行きました。また、当時のFRAは部門が立ち上がって間もなく、少人数の部署だったので、1年目にも関わらずパートナーに直接指導してもらうことができ、その点もすごく良かったです。入社間もない新人がパートナーの仕事を間近で見ることができ、指導までしてもらえるなんて恵まれていたと思います。さらには厳しいことで有名なパートナーに指導してもらったので、仕事が厳しい反面、すごく成長することができました。
-なるほど。けれども、監査経験なしにいきなり会計アドバイザリーの仕事は大変ではなかったですか?
そうなんです。FRAでは、IFRSやUSGAAPとJGAAPのコンバージョンの仕事がメインだったのですが、監査経験なしにいきなりアドバイザリーの部門で働くのはかなり大変で、監査の基本を勉強しつつ、IFRSについても勉強し、さらに、英語が必要な部門だったので英語の勉強もしていました。監査、IFRS、英語の3つを同時に勉強しないといけない状況だったわけです。
まず、監査に関しては、会計士試験に合格したばかりでしたので、そもそもの基礎的な勉強をしなければなりませんでしたし、IFRSに関しても、当時はまだIFRSに関する事例も少ない状況でしたので、1から自分で調べなければならないことも多かったです。
また、FRAは海外のPwCから来ている外国人メンバーと英語のできる日本人で構成されていたので、自分だけ英語ができない状態で、英語も相当勉強しなければなりませんでした。ただ、その環境のおかげで英語力を高めることができましたし、FRA時代の英語の学習体験がベストティーチャーのアイデアの原型にもつながっていますので、FRAを選んだことは良い意味で自分の人生の分岐点になっていると思います。
-監査法人での最初の選択が現在までつながっているわけですね。ちなみに、当時はみんなと同じ監査を経験できないことへの不安はなかったのですか?
実はそういった不安は全くありませんでした。当時はJGAAPはUSGAAPかIFRSに収れんしていくと言われていたので、それらを先に経験できるFRAに入れることがプラスだと思っていましたし、当時は仕事が本当に楽しく、夏休みもとらずにずっと働いていました。監査を経験できない不安どころか、自分でビジネスをしたいとか起業のことなんかもすっかり忘れてしまっていました。
監査やインチャージにこだわり過ぎる必要はないと思う
-そんな充実した監査法人生活からM&Aの仕事に転職される経緯はどのような感じだったのでしょう?
あらた監査法人での仕事はいろいろと恵まれていて本当に楽しかったのですが、自分はそもそもビジネスに興味があって公認会計士を目指していたので、監査法人で働いているうちに「会計よりも事業や経営に関する仕事がしたい」と思い始めました。そこで、M&Aや資金調達の仕事を目指してPwCグループの社内募集で当時のPwCアドバイザリーに応募したのですが、残念ながら落ちてしまったため、転職活動をすることにしました。
とは言え、正直、当時はまだ社会人経験も1年数ヶ月程度だったので、大手監査法人系のFASなどを受けたものの書類選考も通らないなどかなり苦労して、一度は転職活動を中断したりもしました。けれども、いろいろ考えた結果、やはり会計ではなく事業をサポートする仕事にチャレンジしてみたいと思い活動を再開して、最終的に独立系のM&Aアドバイザリーファームに入社することができました。
-M&Aアドバイザリーファームに入社してみていかがでしたか?
M&Aファームでは、初日から感激の連続でしたね。朝礼ではプロジェクト進捗を報告しあったり、先輩たちがみんなめちゃくちゃかっこ良くて、「これがM&Aの世界か!」とすごくわくわくしたのを覚えています(笑)
-なるほど(笑)具体的にはどのような仕事に携わったのですか?
そこではM&Aや事業再生のアドバイザリーの仕事をしました。エグゼキューションのスタッフとしてデューデリジェンスやバリュエーションを中心とした仕事をし、一部、中国関連の案件やPMI(Post Merger Integration/M&A後の統合支援)のプロジェクトなども経験させて貰いました。
M&Aの仕事は内容的にも時間的にも非常にハードですからとても大変だったのですが、ひと言にM&Aといっても株式交換やキャッシュでの買収などスキームも多数あり、ひとつひとつが奥深いものだったので、そういった新しい知識を習得するのに夢中になっていました。
特に、僕が在籍していたファームは理念を大切にするファームで、「案件の大小」や「儲かる・儲からない」ではなく、クライアントのためにサービスを提供するという姿勢が強かったため、案件の規模も種類も様々でいい経験を積めたと思います。
-実際にM&Aアドバイザリーなどの仕事を経験してみて、公認会計士がM&Aや再生などFAS業務にチャレンジすることに関してどう思いますか?
「公認会計士はいつ転職すべきか?」ということは、よく話題に上りますが「FASをやりたい」「FASで一流になりたい」と本気で考えている公認会計士であれば、なるべく早くFASの世界に転職する方がいいと思っています。
というのが、M&Aや再生などFASの世界というのは身につけなければならない専門知識がたくさんあります。デューデリジェンスであれば監査の知識が多少活かせますが、バリュエーションやFAとなると必要となる知識が監査とは大きく異なってくるなど、監査とFASに必要なスキルで重複している部分はごく一部しかありません。
例えば、B/Sの見方ひとつとっても、監査の場合は「実態があるかどうか」という一時点での価値が基準になりますので、その視点は『静的』にです。一方で、M&Aのデューデリジェンスにおける視点は『動的』で、「この会社が買われた場合、売掛金や棚卸資産はどうなるのか」といったことを予測するイマジネーションが必要となるわけです。
また、バリュエーションに関しても、監査においても減損などのトピックで学びますが、FASのバリュエーションではDCFなどと組み合わせた高度で複雑な知識が要求されます。FASという業務は「公認会計士だから入りやすさはあるが、公認会計士だからできる分野ではない」のです。
ですので、もし、将来、FASをやりたいと本気で考えているのであれば、監査の基礎を経験したら、少しでも早くFASの世界に飛び込み、1から謙虚に学んでいくことが大切だと思います。
-監査法人では公認会計士の転職について「インチャージを経験してからの方がいい」「マネージャーを経験してからの方がいい」など様々な意見がありますが、宮地さんはそこについてはどう思いますか?
転職にはいろいろな理由があるので、今の環境が嫌になって辞めるなど突発的な転職のことを考えるのであれば、それまでは目の前の仕事に一生懸命取り組んでおくので良いと思います。けれども、もし、本当にやりたい事がある場合は、公認会計士だからと言って監査をマスターすることやインチャージを経験することにこだわり過ぎる必要はないと思いますし、それよりも、自分の将来の目標につながる経験を積むことのほうが大切な場合もあると思います。
僕自身、M&Aファームに転職をした時は、監査法人ではまだ2年目でしたから同期248名の中で恐らく1番最初に監査法人を辞めています。当時は「インチャージも経験せずに転職するのはもったいない」などとも言われましたが、自分の最終的なゴールが会計のプロではなく、事業サイドで活躍することであったことを考えると、その選択は間違っていなかったと思いますし、後悔もありません。
自分の進むべき道をしっかりと見極めて、判断することが大切だと思います。
後編へ続きます
⇒ インチャージでもなく、CFOでもなく、僕は起業家への道を選んだ(後編)