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どんな公認会計士にもキャリアの分岐点がある。
昨今、大手監査法人に勤める公認会計士がパートナーになるのは、早くて30代後半あたりだろうか。早い人であれば20代でマネージャーになり、その後、シニアマネージャーともなれば、パートナーへの道を意識する会計士も少なくないだろう。
とはいえ、どこかで昇格の壁に直面することもあるだろうし、また、全員が社内での昇格の道を選ぶわけではないのも周知の事実だ。他のプロフェッショナルファームや事業会社への転職、もしくは、独立に自らの道を見出す会計士も多い。
若手の会計士がキャリア選択に迷うというのもよく聞く話だが、自身の将来が見え始める30代後半以降の中堅会計士もまたキャリアに悩むこともあるだろう。
今回話を聞いた、東京共同会計事務所でパートナーを務める藤田和弘氏(公認会計士)もある理由から、マネージャーのタイミングで監査法人を離れた人物だ。
監査業務にはあまり身が入らなかったが、コンサルティング業務では仕事への情熱が目覚め、大手コンサルティングファームにて順調にプリンシパルにまで昇格。しかし、その後は独立を経て、現在はキャリアの終着点として東京共同会計事務所での事業開発を担い、また、上場会社2社の社外取締役も務める。
ファームのパートナーや独立開業、社外取締役など多様な経験を積み、会計士としてのキャリアを謳歌しているように見える藤田氏だが、自身のキャリアをどう振り返るのか?そこから学んだこと、今に活きている哲学など、キャリア晩年だからこそ見えてきたものを語ってもらった。これからのキャリアを考える30代・40代の中堅会計士のみなさんの参考として本記事をお届けする。
藤田 和弘
東京共同会計事務所
事業開発企画室 パートナー/公認会計士
慶應義塾大学経済学部卒業、1990年、公認会計士試験2次試験合格、監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)入社。
1998年、デロイト トーマツ コンサルティング株式会社(現 アビームコンサルティング株式会社)へ移籍。2001年から2007年には米国デロイト コンサルティング ニューヨーク事務所駐在。製造・流通統括事業部・執行役員・プリンシパル、IFRS Initiativeリーダーを務め、2010年日本アイ・ビー・エム株式会社入社。グローバル・ビジネス・サービス事業/コンサルティング・サービス/戦略コンサルティングのパートナーを務める。
2013年、東京共同会計事務所のシニア・アドバイザーに就任。2014年、同事務所パートナーに就任。現在はパートナーとして事業開発に従事しつつ、上場会社2社においてそれぞれ社外取締役、監査等委員も務める。
本記事の目次
- 監査法人では持てなかった仕事への情熱が、コンサルティングで覚醒
- クライアントの利益を優先することの難しさ、今だからわかる「信頼」や「ネットワーク」の意味
- 監査法人での苦節、転職先のカルチャーとの不一致。失敗からの学びは「自分の好きなことをやる」「得手に帆を上げる」こと
- 別のキャリアはあったと思う、でも後悔はしていない。
- 職人気質の会計事務所が挑む、「証券化」起点の新サービス
監査法人では持てなかった仕事への情熱が、コンサルティングで覚醒
━━ 今回は藤田さんのキャリアを振り返りながら、その「ターニングポイント」と、そこから得た学びを聞かせてください。大手コンサルファームでの海外勤務やパートナー職、独立から現職での仕事まで、多様な経験から得られたキャリア観を伺えればと思っています。
ありがとうございます。
こういった機会をいただいて改めて考えてみると「若い時にもっとキャリアについて考えていたら違ったのかな?」といった気持ちもありますが、その点も含めて私の話が何かみなさんのお役に立てばと思います。
━━ 藤田さんのキャリアは監査法人から始まっておられますね。監査法人時代はどうだったのでしょう?
私は25歳のときに監査法人トーマツに入社し、約8年間監査業務に従事しました。監査人は資本主義の番人とも言える社会にとって大切な仕事ではあるものの、正直なところ自分が生涯続けて行くべき仕事ではないなと感じました。
実際、入所して5年間くらいは、仕事よりプライベートの時間を愉しむことを優先し、どこからどう見ても仕事に身が入っていなかったと思います。
例えば監査業務では、有価証券報告書の文章について、時に「てにをは」含め、先例に修正を加える時には尚更、延々と議論することがありますが、「クライアントのこんな優秀な人達がこんな非生産的なことに多くの時間を費やすのは、組織的にも、各個人にとっても、また、国としての競争力という観点からも非常に大きな損失だ…」と、強い疑問とある種の落胆を感じました。
そんな折、IPOを目指すあるIT系企業の案件にアサインされました。90年代後半のIT革命の勢いにも乗って売上は急激に伸びているのに、借入も膨張し資金繰りは悪化の一途を辿っている。そんな会社を立て直し、IPOへと導く仕事でした。抽象的な表現ですが、その業務は、数字と業務プロセスからオペレーションのダイナミズムを把握し、会社を健康にしていくことでした。これが実に面白かった。
クライアントの取締役が自分と同じ公認会計士で、大先輩のとても厳しい方だったのですが、しっかりとした成果物を出した時に素直に褒めてくれました。監査では感じたことのない、楽しみや嬉しさを感じました。

自分の作成した資料やデータが元となって会社がみるみる改善されることには、大きなやりがいを感じましたし、同時に、仕事に対してのオーナーシップ(当事者意識)も強くなってきました。「直せるものなら直してみろ」という気持ちで報告書や資料を作成し、パートナーと対峙するようになったことが自身の成長に繋がったと、今でも思っています。
これらの経験から、コンサルティングに関心を抱き、その後、デロイト トーマツ コンサルティング株式会社(現在は「アビームコンサルティング株式会社」、以下「デロイト」)に転職しました。1998年、33歳のことです。
クライアントの利益を優先することの難しさ、今だからわかる「信頼」や「ネットワーク」の意味
━━ 今でこそ公認会計士のコンサルへの転職は一般的ですが、当時はどうだったのでしょう?
コンサルティング業界は、当時はまだまだマイナーな業界で、「そんなところにいくの?リスク・テイクするなあ!」と驚かれるような時代でした。けれども、実際に転職してみたところ、お客様の問題解決に真剣に取り組んでいる業界で、これが自分がやりたいことだと思いました。
━━ デロイトではどんな仕事を担当されたのでしょうか。
最初にアサインされたのは、大手インフラ・エネルギー系企業の案件です。70数社ある関連会社を大改編する、結果的に2年がかりの大仕事でした。
多くの利害関係者が絡む大型プロジェクトだったので、クライアントの社内はもちろん、私がいたファーム内での調整も含めて大変なことも本当にたくさんありましたが、これが非常に面白かったのです。大組織に対してどう対峙するのか、お客様との接し方や調整の仕方、監査法人時代にはあまり意識していなかった収益貢献の感覚など、ダイナミズムを感じられました。

━━ コンサルティングに軸足を移してからは、どのような苦労がありましたか?
プロジェクトにおいても大変なことにたくさん直面しましたし、ファーム内でも社内政治や出世レースなど、周りではいろんなことが起きていました。しかし、常に意識していたのは、クライアントの為になるか否かを判断の軸とすることです。
コンサルタントにとっては、クライアントも我々も成功するwin-winが理想ですし、両方とも失敗するlose-loseはクライアントも我々も避けたい事象です。
問題は、クライアントと我々のどちらかだけが成功するwin-lose、もしくは、lose-winな状況です。そんなときに大事なのは、クライアントの利益を、自分たちの利益より優先する思考回路と実際の行動です。言うに易く、行うに難しです。
私はクライアントの利益に資するかという視点に気持ちが入り過ぎる傾向があったので、周りに青臭い議論を吹っ掛けたりしており、社内政治的なパフォーマンスは苦手科目でした。でも、見てくれている人は見てくれており、当時の関係者からは今でも「あの時は本当に頑張ってくれた」「うちの会社を守ってくれたよね」と声をかけてもらいます。この年になってやっと「ネットワーク」や「信頼」という言葉が重みを増して伝わってきます。
『クライアントに真っ直ぐ尽くす』、今でもこれは自分の指針になっています。

監査法人での苦節、転職先のカルチャーとの不一致。失敗からの学びは「自分の好きなことをやる」「得手に帆を上げる」こと
── 話は少し戻りますが、監査法人からデロイトに移籍する際、藤田さんはマネージャーの手前で、30代前半で未経験のコンサル業界への転職だと、マネージャー職では転職できないと思いますが、その時はどう考えておられたのでしょうか?
正直に言うと、それはあまり思い出したくない話です。というのも、私は監査法人時代に、昇格を見送られてマネージャーの手前でステイになったことがあるのです。
── 今でこそ監査法人での昇格も厳しくなってきていますが、当時だと昇格できないというのはかなりショックかもしれないですね。
実質的には降格されたという感覚でした。これは長い間、自分の中の黒歴史になっていました。
先ほど述べた通り、今振り返ると仕事に身が入っていなかったので、自業自得なのですが、若気の至りでファームに対して「ふざけるな」と内心では思い続けていました。
でもそこからコンサルティングに軸足を移してから、状況は一変。移籍後即マネージャー、その後は2階級ずつ上がって、同期の中でも出世頭としてどんどん昇進して、社長からも「早くパートナーになりなさい」と言われ、最終的にはパートナー(執行役員 プリンシパル)となり、黒歴史を塗りつぶすことができました。
そういう意味では、やはり「好きなこと、楽しいと思えることを仕事にする」というのは、キャリアにおいて大事だなと思います。自分がやりたいことをやっていると、人はちゃんと見てくれているものだし、評価にも繋がって、励みにもなります。
── 次のキャリアのターニングポイントはどこでしょうか。
デロイトコンサルティングからアビームコンサルティングUSAの立上げ時期(※編集部注:デロイトトーマツコンサルティングがアビームコンサルティングに社名変更)、アメリカに6年間出向しました。それまで英語は全くと言ってよいくらい話せず、英語で来たメールは全て即刻消去するくらいだったのに(笑)。
勤務地はニューヨークでした。日本のビジネスにおける様々な施策やムーブメントの多くは米国から来ていますが、その本場がどういったものなのか、また、私生活では、日本人は現地ではマイノリティになるので、時に嫌がらせのようなものも経験して、私にとっては視野が広がる転換点になりました。
帰国後、ある部門と戦略的Initiativeを担いましたが、組織内でサバイブする上で重要なのは、自分の「山」を大きくすること。優秀なマネージャーを育て、従え、さらにその山を大きくして、大きな案件を取って、デリバリーする。そういう仕事の仕方が普通でした。
そうした組織なので、スタッフの人達はドンドンと手を動かします。しかしそれでは、自分はレビューとクライアントリレーションの構築がメインで、実際に一次情報に触れる機会がどんどん減って行きます。すると、クライアントと話していて、だんだんと手触り感のある、相手を惹きつける発想も話もできなくなってしまいます。
この仕事のやり方が悪いというわけではありません。でも、私は自分がなりたいプロフェッショナル像とは違う大きな違和感を覚えるようになっていました。
「自分はどちらかと言うと職人気質で、自分で考え、分析して、手を動かしながら実際に問題解決して行くことでバリューを発揮するのが楽しいと感じるタイプである」と、あらためて自覚したのがこの頃です。

── プロフェッショナルファームでは一般的に、パートナーになると営業やマネジメントの比重が高まり、実務から離れ、それに悩む方も少なくない印象です。
自分も営業やマネジメントは十二分に経験していたのでそこに抵抗はなかったのですが、そこに専念する状況となってみると、実務家として最前線に居続けたいと強く感じました。今振り返っても、その頃は自分の理想と目の前の現実とのギャップでつらい時期でした。
── そういった経験を経て、一旦会社勤めから離れるわけですね。
はい。「小さな仕事でいいから、一兵卒として、どれくらいできるかやってみよう」と考え、独立しました。
最初は心配もあったのですが、色々な方から声をかけて頂きました。政府系ファンドや海外の教育機関の仕事、M&Aや資金調達の案件など、自分ひとりになったにも関わらず本当にいろいろな仕事をいただくことができました。前述した、公私かかわらず少しずつ信頼が積み上っていたのかも知れません。とても嬉しかったです。
── せっかく独立したのに、そこからなぜ東京共同会計事務所を選んだのでしょうか。
たくさん仕事をしていた中での協業先のひとつが、現在勤めている東京共同会計事務所で、「シニア・アドバイザー」という肩書きをもらい、一緒に案件にも取り組んでいました。
そうして2年経った頃、代表の内山から「そろそろ正式にうちに入らない?」と言われました。
内山は大学の先輩であり、学生時代に彼から会計士試験や会計士の仕事について話を聞かせてもらったのをきっかけに長年の付き合いがあったのと、当時の東京共同会計事務所は、新たな組織を作ったり、新サービスを開発したり、事業構造変革に取組み始めたところだったので、自分が貢献できる部分もあるかなと思い、参画を決意しました。
別のキャリアはあったと思う、でも後悔はしていない。
── 今、改めてご自身のキャリアを振り返ってみていかがでしょうか?
正直に言って、もう少しやりようはあったかと思います。もっと勝ち筋を意識して、逆算的に物事を進めても良かったのかもしれません。
目の前の案件や関係作りに集中することは大事なことですが、単に仕事をこなすだけだと、その結果が将来にどうつながるのかはわかりません。ネットワークの作り方や外部との協力の仕方を意識的に工夫していけば、もっと大きな仕事や組織づくりにつながっていった可能性もあります。
とは言ったものの、では当時の自分がそうしたかったかというと、そういうわけでもありません。「会社を大きくしたい」「数百億円規模の会社を作りたい」なんて思ったことはありません。
私は目の前のクライアントや仕事に没頭し、コツコツと仕事をしてきました。これは自分の性格であり、向き不向きあると思います。自分が居心地が良かったのは、職人型の方でした。
── ご自身の気持ちにまっすぐに、クライアントのことを考えて向き合い続けたからこそ、先ほどおっしゃられた周囲の方々からの信頼やネットワークにつながったのかもしれないですね。
私のキャリアをそう見ていただけると嬉しいですね。
有り難いことに、大組織を飛び出してひとりで独立してからも仕事をいただけたり、証券化畑の出身ではないにもかかわらず東京共同会計事務所に誘ってもらえるなど、たくさんの機会をいただくことができました。それによって個人のキャリアを再構築できたと思っています。
ですので、別のやり方もあったかもしれませんが、決して後悔はしていません。

職人気質の会計事務所が挑む、「証券化」起点の新サービス
── 東京共同会計事務所も、藤田さんの価値観と似たカルチャーなのでしょうか。
そうですね。代表の内山も出会った頃から自分のことを「エンジニア」と称するくらい実務や技術を大事にしていますし、他のメンバーも実務感覚があり、当事務所の源流にある職人気質なカルチャーが受け継がれているのは間違いありません。実務家として最前線で活躍したい方にとっては、居心地の良い環境だと思います。
── 現在は事業開発室のパートナーとしてどのような仕事に取り組まれているのですか?
東京共同会計事務所は、現在、内山や私などのシニアパートナー世代の引退に向けて組織変革に取り組んでおり、また、事務所の基盤をより強固にするための新サービスの立ち上げ準備もしている最中です。
私はその中で、新サービスの開発や、将来、幹部となっていただける人材の採用や育成にも取り組んでいます。
新サービスの開発に関しては、現在、「マネジメント・アドバイザリーサービス」という形で、企業や金融機関といったクライアントの経営陣や事業責任者などから依頼を受けた課題を解決し、そこからサービス化できるものに取組んでいます。
例えば、そのひとつが、PEファンド(プライベートエクイティファンド)向けのサービスです。
PEファンドは、日本の産業界で日に日に存在感を増していて、大手ファンドは既に大手戦略コンサルティングファームとも連携していますが、東京共同会計事務所は、ファンド運営からの派生ビジネスも視野に入れ、彼らとは異なるアプローチで新たな市場を開拓していこうとしています。
また、他にも東京共同会計事務所がこれまで培ってきた「証券化」というアセットを活用しつつ展開できる、様々な領域の開拓に事業開発のメンバーたちと一緒に取り組んでいます。

── 将来の幹部候補にはどういった方がフィットすると考えておられますか?
新サービスの開発は、既存のビジネスを延長したり、営業先を変えたりしてみるだけでは足りません。ファイナンスや会計だけでなく、事業変革や業界全体の動向、ガバナンスの要素なども理解して、世の中のニーズを見つけていくことが必要となる、正に総合格闘技的な戦い方ができるかだとも言えます。
例えば、専門家志向の30代・40代の方で、これまでの軸となる経験を持ちつつも、それを超えて新たな分野にチャレンジしたい方などは歓迎ですね。
こうした取り組みに興味を感じていただける会計プロフェッショナルの方は、ぜひ東京共同会計事務所の門を叩いてみてください。ご応募をお待ちしています。
東京共同会計事務所では、新規事業開発などに従事し、次世代を担ってくれる中堅の公認会計士を募集中です。本記事を読んで興味を持ってくださった方がおられましたら、下記サイトも合わせてご参考ください。
取材・執筆:pilot boat 納富隼平

























