プロスポーツチームやアスリートに対し、それを専門とする外部のアカウンティングファームが関与するなど、欧米諸国では一般的ではあるものの、日本ではまだ耳慣れない「スポーツアカウンティング」。この普及に取り組んでいるのが、今回ご紹介する公認会計士の宮本翔さんです。
公認会計士試験の勉強中に開催された、北京オリンピックでのアスリートの姿をモチベーションにしていた、スポーツファンの宮本さん。公認会計士試験に合格した後は、大手監査法人のスポーツアドバイザリー室、外資系スポーツ関連企業を経て、2021年に、公認会計士などの会計専門家を中心に一般社団法人日本スポーツアカウンティング学会を設立しました。
現在は、独立の公認会計士としてコンサルティング業務を行いながら、日本スポーツアカウンティング学会の専務理事としてスポーツアカウンティングの認知拡大と理解促進に取り組んでいます。
宮本さんに、「スポーツアカウンティングとは何か」をお聞きしました。
日本スポーツアカウンティング学会
専務理事/事務局長
公認会計士
宮本翔
慶応義塾大学経済学部卒業後、2009年、公認会計士試験合格。有限責任あずさ監査法人にて、グローバル企業に対する監査業務に40社以上従事。 在職中に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を卒業(総代)し、2017年7月よりスポーツアドバイザリー部門へ異動。2018年11月よりスポーツライセンス商品の製造・販売会社であるFanatics社日本法人の管理部長に就任し、Majestic日本法人とのPMI業務等に従事。 2021年には自身の会計事務所を設立し、エンタメ系スタートアップのCOO/CFO業務や、スポーツチーム/プロスポーツ選手の会計・財務コンサルティング業務を中心に活躍。
スポーツ関連団体やスポーツ選手を支援する「スポーツアカウンティング」
ーまずは、「スポーツアカウンティング」とは何か?からお聞かせください。
私たちが提唱している「スポーツアカウンティング」とは、大きくふたつの分野に分けられます。
ひとつ目は、「法人などのスポーツ関連団体への会計・税務・財務・ガバナンス等に関するアドバイザリー」、ふたつ目は、「税務や資産管理といった側面からのスポーツ選手個人のファイナンシャルサポート」です。
ーそれぞれの内容を、具体的に教えてください。
まずひとつ目のスポーツ関連団体へのアドバイザリーからお話します。「スポーツアカウンティング」と言っても、スポーツ関連を包括した会計基準があるわけではありません。会計や税務やその周辺領域にスポーツに関連する、細かい会計や税務のルールが偏在している状況です。
例えば、会計士の皆さんがご存知のIFRSには、スポーツ選手の移籍金に関連する減価償却の条項があります(IAS38号)。IFRSというのは、ヨーロッパ発祥の会計基準であり、ヨーロッパではプロスポーツ選手の移籍に伴って数十億~数百億円のお金が動くため、そういった条項が存在しているのです。
日本の上場企業では、大谷翔平選手がポスティングシステムを使ってメジャーリーグに移籍した際の移籍金が、日本ハム株式会社の有価証券報告書に載っています。また税務面では、プロ野球の球団を保有する会社が、球団の宣伝のために支出した宣伝広告費や、球団に対して親会社が支出した金額を損金に算入できるなどの、条項があったりもします。
そういったスポーツ業界特有の会計・税務処理について調査・研究しています。
また、スポーツ関連団体の経営・運営に関するガバナンスのサポートもしています。
対象としているのは、例えば、自治体の関連団体が運営するスポーツ関連施設やイベント、また、社団法人などの形で競技毎に設立されている協会です。
そうしたスポーツ関連の団体や協会においては、監事のポジション(株式会社に言い換えると監査役)に、選手時代に高い実績を有した方が着いていることが多く見られます。競技の振興面では、役員としての成果を発揮されているものの、経営の専門家ではないため、団体のガバナンス面ではうまく機能していないといったこともあります。
こういった問題点を踏まえて、会計や税務、財務の支援のみならず、ガバナンス構築などの組織設計も含めて支援をしていくことも、スポーツアカウンティングには含まれています。
そして、ふたつ目に挙げた選手個人へのファイナンシャルサポートとは、選手が引退後もお金の心配なく生活できるようサポートをするものです。
例えば、スポーツ選手は税金の知識に乏しく、確定申告にも不慣れなことが多いので、税務面からのサポートを行います。プロ野球選手をはじめとしたプロスポーツ選手に対して、入団時の契約金の運用方法などを専門家の視点で助言するなど、税務や資産管理について包括的なサポートを行っています。
ー現場で起きている具体的な課題を明らかにするために、調査をされたそうですね?
スポーツ団体と選手が抱える会計税務に関する課題を明らかにする目的で、選手や団体、それに公認会計士や税理士を対象に、アンケート調査を実施しました。
スポーツ団体には「過去に経理上の不正が起こったことがあるか」「会計や税務の専門家の見つけ方」、選手個人には、「身近に会計やビジネスのことを相談できる専門家がいるか」「金融リテラシーに関する勉強会の有無」といった質問をしました。
その結果、ふたつのことが明らかになりました。
スポーツ団体は、頼れる専門家をどう見つけていいのかが分からず、「知人が会計士だから依頼しよう」というような、いわゆる紹介のケースがとても多いこと。選手は、金融リテラシーを高める研修などを受けたことがある割合が少なかったことです。
ー知人の紹介とは、よくあることのように思えますが、何か問題があるのでしょうか。
紹介を受けた会計士や税理士の方が、スポーツ分野への知見があれば問題はありません。また、多くの場合、仮にそういった知見がなくても、税理士や公認会計士といった専門家はしっかりされた方が多いですし、問題が起きることも少ないと思います。
ただ、そうではない場合に、一部ではあるものの、例えば、知人同士ということであるべき指摘ができず、いつの間にか自治体や国から交付される補助金の扱いがずさんになったり、組織のガバナンスが働いていなかったり、もしくは、しっかりと指導をしていても通常の税務会計の知識ではわからないスポーツ分野特有の論点を見落としてしまっている、という課題も業界では生じています。
そこを当学会が、スポーツ関連の団体やアスリート個人、それらを支える専門家を支援できればと思っています。
会社に勤めながら通った大学院で感じた、スポーツアカウンティング学会の必要性
ースポーツアカウンティング学会を設立しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
東京でのオリンピック開催が、2013年に決定したことで、当時勤めていた監査法人内にスポーツアドバイザリー室が新設されました。実はその頃、監査業務をしながらも「自分がやりたい仕事はこれなのか。この仕事を続けていていいのか」などと悩むことが多くなっていたのです。
部署が新設されることを知り、公認会計士をしながら大好きなスポーツに関われるチャンスが出来たことに胸が高鳴りました。部署移動を実現させるためには、専門性が必要だと考え、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科に通うことにしました。
ここで、学会設立のきっかけが出てくるのですが、修士論文を書こうとした際に、参考になるような論文がほとんど見つからなかったのです。
当初、スポーツ選手の退職金についての論文を書こうと思っていたのですが、検索してもヒットするのはニュース記事ばかりで、スポーツ選手の退職金制度にはどんな課題があり、どうしたらその課題を解決できるのか、そのために何をしていかなければならないのか、といったことが明らかになっていませんでした。
そのときに初めてスポーツ分野の会計・税務は学問として成立していないこと、学会のような団体もないことを知り、「自分がやるしかない」と思ったのです。そして、その後、2021年9月に一般社団法人日本スポーツアカウンティング学会を、設立しました。
ちなみに、スポーツアドバイザリー室への異動は無事に叶い、経済産業省やスポーツ庁などから調査業務を請け負って、政策立案に必要な情報を調べてレポートにまとめるという、シンクタンクのような業務をしていました。
「スポーツの現場を知りたい」「監査以外のスキルを身につけたい」と監査法人を退職
ー異動が叶いスポーツ関連の仕事ができていたにも関わらず、その後、なぜ監査法人を退職して事業会社へと転職されたのですか。?
私は、もともと何か大きな目標があって会計士になったわけではありません。大学在学中から資格学校に通っていましたが、試験に受かることが目的化して勉強を続けるという状態でした。
ようやくの思いで試験に合格したものの、監査業務をしながら「この仕事を続けていていいのだろうか」と悩んでいました。スポーツアドバイザリー室に異動してからも、好きなことを仕事にしているはずなのに、「スポーツ団体や組織の現場を分からない状態で仕事をしていて良いのか?」など、モヤモヤした気持ちは晴れなかったのです。
最終的に、「スポーツの現場をもっと知りたい」「会計という専門分野に加えて、新たな経験と武器を身につけたい」と、事業会社に転職することにしました。2018年11月のことです。
ー監査業務を離れて、事業会社へ。そして、スポーツ分野への挑戦ですね。
転職先は、メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)や欧州サッカーのビッグクラブのオフィシャルパートナーとして球団のグッズなどを販売する事業を行うFanatics(ファナティクス)というアメリカに本社がある外資系企業の日本法人でした。
管理部長というポジションでしたが、経理・財務・税務だけでなく人事労務や法務、総務、さらに企業広報まで、マネジメント領域は広かったですね。それまで勤めていた監査法人とは異なり、組織は少人数で、初めて経験する分野ばかりだったこともあり、手探りをしながら自分ができることを徐々に増やしていくというような日々でした。
大変だったことはたくさんありましたが、事業会社の現場を経験できたことは大きなスキルアップになったと考えています。
最終的にファナティクス社には約3年間在籍しましたが、今度は自分で事業の企画を担いたいと思いが強くなり、2021年11月にスタートアップの事業企画に携わるチャンスを頂きました。
その企業は海外と日本にそれぞれ法人があり、私はバックオフィス系には関与せずに、COO(会社の売り上げを作る責任者)として売り上げが見込める企画を作り実行する立場でした。事業内容に魅力を感じていましたし、私の役割も明確でやりがいはありましたが、最終的には日本法人を売却することとなりました。そして、現在へと至っています。
「スポーツアカウンティングの認知拡大」を目指した次の一手
ー宮本さんが現在取り組んでいることを教えてください。
現在は、スポーツアカウンティングについてみなさんにもっと知ってもらうための入門書という位置付けで、書籍の出版に向けて準備を進めています。会計や経理を専門としていない人でもすらすらと読めるような内容にする予定です。
例えば、力士の給料はどうなっているかご存知でしょうか?そう聞かれると、「力士はそもそも給料制なの?」「野球やサッカーのように年俸契約じゃないの?」と、わかる人は少ないのではないでしょうか。
実は、力士の固定給の部分は相撲協会からの給料として支払われます。税務上は「給与所得」となります。しかし、本場所の優勝賞金は給料ではなく「一時所得」として源泉徴収されています。国税庁が昭和34年にそのような通達を出してそのように定めているからです。
難しい内容ではなく、身近な例を用いてこの業界に少しでも関心がある方の興味を引くような内容にしようと思っています。1冊で終わりではなくシリーズ化できればいいなと考えています。
【追記】
2024年4月25日に上記の書籍が発売となりました!
ーご自身がお好きなスポーツが軸になっているからか、ワクワクが伝わってきます。今後はどんなビジョンを描かれているのでしょうか。
実は、今後のかっちりとしたビジョンはまだ見えていません。
周囲からは、好きなことをやってそれに突き進んでいるように見えるかもしれませんが、先人がいない分野ということもあり、ロールモデルもおらず、自分自身で作っていかなければなりません。日々、誰かに相談にのって貰いたいと思っていますし、色々な方に力を貸して頂きたいと思っています。
取材頂いている2023年はChatGPTに代表されるような生成AIの進化がすさまじい年でした。会計の世界もスポーツの世界も将来どういう形で進化していくか誰もわかりません。これからどうしていくべきか、悩んだり迷ったりしながら、日々、手探りながらも会計士業界やスポーツ・エンタメ業界のために活動していくつもりです。
取材・執筆:佐藤一穂